ゆらゆらと揺れる不確かな未来で 僕は君を (25 Hibari x 24 Tsunayoshi)




―――シチリア、午前二時。
石造りのいかめしい古城の最奥にある一室。分厚い天鵞絨(びろうど)の
カーテンが引かれたその部屋は、美しい象嵌細工を施された胡桃材のアンティークのチェストやサイドボードなど、重厚かつ優美な調度品で満たされている。
それは…この部屋が城の主の執務室であったからだ。
彼のプライヴェート・ルームである主寝室は更にこの奥にあるが、二十一世紀というこの時代においても王族や貴族が眠るような大きな天蓋に覆われている。その、あまりに仰々しい寝室の様子に『これじゃかえって眠れない』と…数年前、この城の主となったまだ歳若い当主はぼやいたという。
その晩、執務室には真夜中にもかかわらずまだ灯りがともっていた。
「…この書類は決裁済み…。こっちはもう一度考え直すよう、明日、隼人に…」
大きなオークの執務机にはひとりの青年が座っていた。
色の抜けた癖のある髪はブロンドに近い金茶色。人よりも少し大きな琥珀色の瞳は青年を実際の年齢よりも幼く見せていた。
ほっそりとした躯を包んでいるのは、黒地にグレイのピンストライプのシャツにシルバーのネクタイ、そして白いスーツだった。
手にしていた書類を彼は右に、左にとより分けていく。
やがてこんもりと出来上がったふたつの書類の山。それをとんとんと机にうちつけて整え、クリップで留めると彼は大きく息をついた。
「…そうだ。机の上だけじゃなくて、引き出しの中も整理しないといけないよね」
 そう独り呟くと青年はデスクの右側の引き出しを開けた。
 手付かずの(昔、見なかったことにしようとした)書類の山に更に眉を寄せながら手を突っ込んだ彼の指先に、冷たい何かが触れる。
「…これ…」
細い指が探り出したのは銀色のフォトフレームだった。
少しだけ色褪せたその写真の中央に今よりも少しだけ若い自分が映っているのを認め、青年は大きな瞳を細めた。
その膝の上には、隙なくブラック・スーツを着こなしてボルサリーノをのせた家庭教師。出会った頃、まだ赤ん坊だった彼は数年の間に成長したが、今でもやはり『子供』の域でしかない。そのくせ、纏う空気はとっくに成人した綱吉よりも余程大人びて見えるから口惜しい。
そして、自分の肩越しに、ウェーブのかかった少し長めの金髪に優しい鳶色の瞳をした兄弟子の姿。
「リボーン…ディーノさん…」
 その写真は、青年――沢田綱吉――がボンゴレ十代目を襲名したその日に撮影されたものだった。
映っているのは三人だけではない。綱吉の肩を抱くディーノを牽制するかのように背後に立つ獄寺隼人。それを隣で宥めるような山本武。ファインダーに向かってファイティングポーズを決める、相変わらず空気を読んでない笹川了平。カメラにそっぽを向いているため、ひとりだけ横顔の雲雀恭弥。
そして、長く伸ばした後ろ髪を尻尾のように一つにまとめ、漆黒のスーツの背中に垂らしている青年。それは、自分の写真を絶対に残さないことに拘り続けた六道骸だ。
「そういえば…」
 この写真が出来上がるまでには、大変な苦労があったのだ。そのいきさつを思い出し、綱吉はくすりと笑う。


***


『十代目!これで…本当にボンゴレ十代目ですね!おめでとうございます!』
 アッシュ・グリーンの瞳に涙を浮かべながら嬉しそうにそう言ったのは、綱吉の右腕を自負する獄寺隼人だ。彼はまだ綱吉が学校一ダメな中学生だった頃から彼のことを『十代目!』と呼んで慕ってくれた友人だった。

 ―――出逢ってから数年。
二〇歳となった綱吉は、歴代のボンゴレ首領が受けてきたと言われる『試練』を見事クリアし、正式に十代目を継ぐこととなった。そんな綱吉と共に、獄寺は彼にとっては故郷でもあるイタリアへ一緒に来てくれたのだ。
『なんだかくすぐったいなぁ』
『何をおっしゃってるんですか!』 
 年月が変えたのは綱吉だけではない。隣に居る獄寺も変わった。
くわえ煙草は相変わらずだが、彼もまた、綱吉を支えるための努力を惜しまなかった。元々、秀才であった彼は、勉強が苦手な綱吉をサポートすべく、経済、流通、果ては株やITなど、幅広い分野に堪能になっていた。いまや、名実ともに彼は綱吉の『右腕』となっていた。
『おめでとうな!ツナ!』
その時、わしゃりと頭上から大きな手が降ってくる。
『…武…!』
 綱吉と共にイタリアへ渡ってきたのは獄寺だけではない。
 クラスメイトだった山本もまた…綱吉を追ってこの地を踏んでいた。
 高校卒業後、渡米した山本はメジャーリーガーとして第一線で活躍していたが…綱吉の襲名を機に、あっさりとその光溢れる世界から身を引いてしまったのだ。
 慌てる綱吉に、彼は言った。
『もうオレの夢は叶ったからな。次はツナの夢が叶うように手伝うさ』
 その言葉を聞いた時、綱吉は思わず言った。
『マフィアになることはオレの夢なんかじゃないよ』
 苦りきったその言葉を耳にしても、山本が表情を変えることはなかった。
『今はそうなのかもな。でも…本当に嫌なんだったらおまえ、此処には居ないだろう?』
 その言葉に、綱吉は琥珀の大きな瞳を見開く。
 確かに彼の言うとおりだった。なりたくてマフィアのボスになった訳じゃない。単に、ボンゴレの血脈を継いでいるのがもう自分ひとりしかおらず、他に選択肢がなかっただけだ。でなければ、何をやらせてもダメだったダメツナの自分などに、後継者の座が巡ってきた筈がないのだ。
 けれど…。後継者候補となったことで、出逢った人が居た。
自分を一人前のマフィアのボスにするためにイタリアからやってきた家庭教師のリボーンのために、弟弟子だと言って可愛がってくれたディーノのために、そして何よりも…自分が大切にしている人たちの笑顔を護るためには、自分がマフィアのボスになることが必然だと感じたからこそ、綱吉は九代目の後を継ぐことに首を縦にしたのだ。
『きっと…そのうち見えてくるさ。その時、オレがツナの手助けを出来るように…傍に居るよ』
 その飾り気のない言葉は、共に机を並べていた頃とかわりない温かな温もりに満ちていた。
『そうだぞ!おめでとう!沢田!』
『わ!お兄さんも!!』
 山本の反対側からわしゃりとかきまぜられた髪。
 それは、ずっと綱吉の憧れのマドンナだった笹川京子の兄、了平だった。晴のリングを持つ彼もまた、守護者のひとりとしてこのイタリアへやってきていた。
『むむぅ。よくは分からんが、パオパオ導師がイタリアへ行けとおっしゃったのだ』
 了平が師匠と仰ぐ『パオパオ導師』なる、象のかぶりもの
を被った仙人(?)はリボーンの変装(コスプレ)(趣味だろうと綱吉は
思っている)だ。
『…あいつ、またヒトを騙して…』
 ちらりと視線を走らせると、リボーンは少し離れたところで九代目と会話している。そして、綱吉のふかーい溜息は、幸いなことに隣に居る了平にも聞こえなかったらしい。
『ツーナー!ねぇ、ごちそうってどこ?オレっち、おなかすいたー!』
『わ!』
 その時、どん、という衝撃と共に脚に何かが後ろから抱きつく。
『…ランボ?』
 振り返れば、視界の下の方に黒いもじゃもじゃ頭が見える。
『ねえーツナ。ごはんまだ?オレ、おなかすいた…』
 数年の歳月が経ち、五歳児から少しは心身ともに成長している雷の守護者、ランボではあったが、いかんせんまだ日本で言えば小学生の年齢だ。その他の守護者たちと比較して子供っぽく見えるのは仕方がない。
『煩い。おまえは我慢というものが出来んのか。アホ牛!』
 明らかに綱吉に対する態度とは違う獄寺の毒舌にランボの角がぴくりと反応する。
『うるさいー!死(ち)ねっ!獄寺っ!』
 ランボの手がもじゃもじゃ頭へと伸びる。彼が、まるでドラ○もんの四次限ポケットのようにもじゃもじゃ髪からいろんなものを取り出すこと…そして、この雷の守護者と嵐の守護者がしょっちゅう小競り合いをおこしていることは、此処に居る面々には周知の事実だった。
こんなところで手榴弾をぶん投げられたり、十年バズーカなどという物騒なものをぶっぱなされてはたまらない。ギャラリーとなっている黒スーツを纏った男たちの背中にたらりと冷たい汗が伝う。(日頃、彼らがどれだけの騒ぎを起こしてきたかが良く分かる)
『あーもー。隼人もランボも!喧嘩はやめようね』
 その時、やわらかな声と共にふたりの間に入ったのは、ボスである綱吉だった。
『ツナ!』
『ランボ。もうちょっと待っててね』
 自分たちと比較するとまだ小さいランボと視線が合うように膝を折った綱吉は、汚れたままの頬を指先でぬぐってやる。
すると、ビー玉のような、くりくりとしたグリーンの瞳がじっと綱吉を見つめる。
『…うん』
 朝からお風呂に入れられ、新しい服を着せられ…何とはなしに、今日はいつもとは違うと子供ながらに感じているらしい。暴れたいのを我慢してもじもじしているランボの髪を綱吉は撫でる。
『いい子にしてたら、今度、ランボの好きなアマレッティ買ってきてあげる』
 アマレッティというのは、アーモンドの粉と卵白、砂糖を混ぜて作ったイタリアの伝統的な素朴な焼き菓子。これがメディチ家によってフランスに持ち込まれ、マカロンとなったとも言われている。
『…ほんと?』
 綱吉の言葉にランボの瞳が輝く。どうやら、数年経っても、甘いものには目がないことは変わらないらしい。
『うん。約束』
 そう言って小指を差し出すと、ランボは無邪気に笑う。
『約束、約束!…嘘ついたら、針、千本のーます!ゆーび切った!』
 日本に居た頃に綱吉の母、奈々にでも教えてもらったのだろうか。今では日本の子供ですら知らないであろう童謡をランボは口ずさむ。
指きりをした後、綱吉はランボをぎゅっと抱きしめる。 

『…そうだ。折角だし、全員で記念写真を撮らない?』

 それは、ふとした思い付きだった。 
嵐、雨、晴、雷、霧、雲。ボンゴレ十代目となった綱吉がリングを与えた六人の守護者は、いずれも個性派揃いだ。そのため、常に綱吉の傍らに居るとは限らず、六道骸や雲雀恭弥のように日頃は綱吉でさえ所在を掴むことの出来ない者も居る。彼らが終結するのは大きな争いの起こった時だけで…今日のように平和で何事もない日に守護者全員が揃うのは、かなり珍しい出来事だったのだ。
『十代目がそうおっしゃるのなら!』
『記念写真か〜!それもいーな』
 綱吉の言うことであれば(ほぼ)何でもイエスの獄寺と、いつ もの軽いノリで了承する山本。
『なーに?お写真?』
『おお!ならば整列だ!』
 綱吉にだっこされ、ぽやんと返事を返すランボも、了平も異存はないらしい。
しかし…ボスの提案に全員が賛同した訳ではない。

『僕は遠慮するよ』
 
その時、場にそぐわない冷たいテノールが響き渡る。
『群れたければ群れればいい。…僕は嫌だ』
そう言って、ふいっと顔をそらせたのは雲の守護者、雲雀恭弥だった。
『…雲雀さん』
 慌てて腕の中のランボを山本に預けると、綱吉は去り行くスーツの背中を追いかける。
『雲雀さん…!』
 慌てて右腕を引っ張ると、彼はようやく歩みを止めた。
『知ってるでしょ。僕が群れるのが嫌いなのを』
 苦々しい声で雲雀は言った。
『…知ってますよ』
綱吉が通う並盛中学の風紀委員長だった雲雀恭弥。彼は、学校だけではなく、並盛一帯の支配者だった。
人々は彼に跪いたが、彼はそれを睥睨するでもなく、そっぽを向いたままだった。彼の元に居る風紀委員でさえ同じ扱いだ。唯一の例外は当時から彼の副官だった風紀副委員長、草壁哲矢だけであろう。
そんな彼を、人々は『孤高の浮雲』と呼んだ。
それは、彼が雲のボンゴレリングを受け取り、綱吉の雲の守護者となってからも変わらなかった。気ままにふらりと現れては綱吉のピンチを助けてみたり、かと思うと傍観を決め込んでみたり。
そんな彼を獄寺は『雲雀はいつも気まぐれだ』と酷評したが、綱吉は『でも、ちゃんと指輪は身につけてくれているからね。守護者の自覚はあるんだと思うよ』とフォローした。
そんな人嫌いな彼だが…いや、人嫌いだからこそだろうか。一旦、自分の内側に入れた人間に対しては非常に情が深い。

―――それはもう、恐ろしく。

あの(・・)雲雀が、どんな理不尽な我儘だろうとその人の願いだ
けは叶えるのだから。
今のところ、その域に達している人物は…綱吉の知る限りではただひとり。
残念ながら、くだんの草壁哲矢ではない。彼が雲雀の機嫌を損ねてボコボコにされているところを何度も綱吉は目撃している。

『…恭弥さん』
 
綱吉は小さな声で雲雀の名を呼ぶ。
そう、ふたりきりの時にしか絶対に呼ばない名前の方を。

―――効果は覿面だった。
甘やかなその声を耳にした瞬間、雲雀の躯がぴくりと反応する。

『…ずるいよ。綱吉』
 小さく舌を打つ音と共に彼はそう言葉を吐き出した。
『お願いです』
 にっこりと微笑んでそう言えば、雲雀にはもはや反論の仕様がなかった。
『……』
 口をへの字に曲げたまま、彼は綱吉の癖の強い金茶の髪をぐしゃりとかきまぜる。
『…わ…!』
『…撮るなら、早くして』
すれ違いざま、耳元で囁かれた小さな呟きに綱吉は口の端を上げる。どうやら、恋人は今日も自分の小さな我儘を聞き届けてくれるらしい。
(それって、愛されてるってことだよね)
遠ざかってゆく黒い背中を綱吉は追いかける。
そう。数年前は並盛指定の旧制服を羽織っていたその背中は、今ではブラック・スーツに変わっている。
 ふたりの関係も、怖い先輩と何をやらせてもダメな後輩だったあの頃とは全く違うものに変わってしまっている。
(けど…雲雀さんは雲雀さんだ…)
 そう、胸の中で呟き、綱吉はその後姿を追いかけた。
 
 しかし…反対したのは雲雀だけではなかった。

『申し訳ありませんが、僕も辞退いたします』
 それまで、一言も発せず腕を組んで壁にもたれていた長身の青年がゆらりと立ち上がる。
 深い闇にも似た藍色の髪に、左がサファイア、右がルビーの色違いの美しい瞳。軍服のようなロングコートを羽織り、黒いレザーの手袋を嵌めたその青年は、霧の守護者、六道骸だった。
『僕は写真を残さない主義なんです』
右目に宿る六道輪廻の能力により、彼は永遠の輪廻を繰り返している。幼い頃、人体実験を行なったマフィアを皆殺しにした罪により、常に命を狙われている骸は決して自分の姿を残さないように細心の注意を払っていた。
そのことは綱吉も知っていた。

けれど…折角、ファミリーが揃った記念なのだ。『家族の肖像』を残したいと思うのはいけないことなのだろうか。

『どうしてもと言うのであれば…』
 骸は長い指を顎にあてて何やら思案する。
『クロームと入れ替わりましょう』
『…えっ…!』
 骸の提案に綱吉は小さく叫ぶ。
 彼が口にしたのは、自らの分身とも言うべき少女の名前だった。
交通事故で右目と内臓の一部を失った少女は、夢の世界で骸に出逢い、生命を救われたという。その代償として彼女は、骸の本体が『復讐者の牢獄』にある水牢に囚われている間、彼がこの世界に存在するための依代となっていたのだ。
 骸の躯が淡い霧に包まれようとしているのを認めた綱吉は、慌ててその長身に縋り付く。
『待って…!』
 入れ替わりは何とか阻止できたらしい。色の違う双眸が不機嫌そうに綱吉を見つめる。
『邪魔しないでください』
『あのさ…クロームじゃなくて、骸がいいんだよ』
 そうストレートに言うと…彼の形のよい眉がひょい、と持ち上がる。
『……』
 断りの言葉を捜している骸の視線が宙を彷徨っている。
(あと、もう一押し…)
 綱吉は彼の両腕を掴んだまま言った。
『そんなに顔を映すのが嫌なんだったら…顔を映さなければいいだろ?』
 その提案に、骸の両目が驚きに大きく見開かれた。






**Comment**

スパコミ新刊の『ゆらゆら』です。タイトルは本人もしょっちゅう間違えるんで、短いverでお願いします。

一応、ヒバツナなんですけど、ちょっと他の片想い要素も満載なんで・・・ご注意ください。
続きは、本をお手にしていただけたらと思います。


2009.04 綺阿